このバージョンの特徴
① 魚兼の次男
おはんは 定次郎は越前屋のセガレと聞かされてない
赤羽橋(あかばねばし)の 魚兼(うおかね)という
魚屋の次男で勘当されたと説明してありました
おはんは 夫婦になって2年たってから
佐太郎が来て はじめて 定次郎が 越前屋の息子
であることを知ります
大月みやこの「恋ものがたり」の 2番の歌詞に
こんな 歌詞があります
わかっていました はじめから
訳がありそな あなたの事が♪
なんか訳がありそうなんだけど
うちあけてもらえてない寂しさ
そんなのが おはんさんには あったのでしょう
その「訳」というのが
定次郎が 越前屋のセガレである
ということだったのです
広重が描いた 赤羽橋
赤羽橋は 増上寺の横です
➁「越前屋」
日本橋通り3丁目の越前屋
原作本でも 実は さらりと この表現だけですが
日本橋通り3丁目 というのは
江戸後期 日本国の中で 商業の一番の中心地
現代でいう「銀座」をイメージしてもいい場所
そこに 店を構えているというだけで 大店です
そして「越前屋」という名前は
実在した「越後屋」を 暗示した名前なんです
越後屋は 明治に「三越」となる店
三井グループで 三井越後屋と呼ばれ のちに 「三越」
この店 創業時には 奉公人10人程度だったそうですが
享保年間 1977年ころには この江戸本店だけではなく
大坂店 一丁目店など 4店舗で 700人近くの奉公人を
抱えていたのだとか
そこから 推測するに 江戸本店だけでも 200~250人
ぐらいの奉公人がいた模様です
佐太郎さんの「越前屋」という名前には
その 越後屋の意味をこめて
めちゃめちゃ大きい店であることの証なんです
さらには 本家 というのは 三井財閥のことで 両替商
現代で言う 銀行ですが
この江戸時代の当時は
各地の大名 殿様にも金を貸していて
この両替商の意向に逆らえば 藩もつぶれるかも
しれないという権力を持っていたそうです
越前屋の 母親 おみちさんや 佐太郎さん
その他親族も ご本家 ご本家と 大切にしているのには
そんな理由が隠されています
➂ 丁子屋
親族が定次郎に縁談をすすめる 丁子屋
これは 原作にもない設定ですが
この丁子屋にも 深い意味が隠されています
織物問屋 丁子屋さん
小林吟右衛門という人が 近江で 行商をしていた人が
江戸へ進出して 日本橋 堀留(ほりどめ)に
丁子屋という織物問屋を開きます
地名にもあるように 堀の留(最後)の場所で
船による 江戸の運搬基地のような場所でございます
小林吟右衛門という人 なにがすごいのかというと
各地の農村の万屋(よろずや)に別送した商品を委託する
という 問屋機能を確立するとともに
織物だけではなく 菅笠や 紅花 綿織物などの
太物もあつかい
それで利益を 得ると江戸・京都・大坂の三都に店を持ち、
手広く商いを行う押しも押されもせぬ豪商としての地位を
築きあげ 14万両 今の価値に換算すると、
300億円相当の金額の財産を築き上げ
丁子屋の吟右衛門を略して「丁吟」と呼ばれたそうです
親族会議の場面
定次郎に 親族が 縁談の話をすすめようとします
「うちの店でも 世話になっている 織物問屋 丁子屋の娘」
を 定次郎の嫁にどうか・・と 言い出すんですね
それに対して 母親 おみちは びっくりしてますし
佐太郎は 「定次郎には おはんさんという決まった方が」
と 言うわけです
織物問屋 丁子屋というのが
押しも押されもせぬ豪商 であるということを 知っていると
この場面での、おみちの驚き 親族の表情などの
見方も変わってきます