2年前 桃象は
届いた画像をもとに こんな記事を書いています
この あらすじは 従来から 劇団都で行っていた内容に
よるものなんですが・・
実は実は おかしなところがあります。
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どこが おかしいかというと
おこもさんのセリフ
「でも この江戸一縁を 襲った
振袖火事、ご存知でございますか。
あの火事の時に店は丸焼け、多くの奉公人も亡くなり、
逃げ遅れた亭主、子供までもが この世の者ではなくなりました。
私は生きるスベを無くし、橋から身を投げて死のうとした
その時に 私を助けてくれたのが その火事の際に私と同じように
家族を失った者達でございます。」
振袖火事 と言ってます。
振袖火事は 明暦3年旧暦1月18日から20日
(1657年3月2日–4日)までに江戸の大半を焼いた大火災
江戸時代最大の災害を与えたといわれる「明暦の大火」です
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ここだけ 観ていると なんにも おかしいことはないんです
おこもさんも 子供たちも 大火災で大変だったろうなと
思います
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ところが その おこもさんが お芝居の最後
とんでもないことを 言います。
「街道一の親分さんは、
清水の次郎長親分さんだと
聞いていたが、
それにも それにも 勝るとも劣らぬ川北長次
日本一の いい男だよぅ」
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清水の次郎長親分ですよ
次郎長親分 文政3年1月1日(1820年2月14日)生まれです。
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1657年に 焼け出された おこもさん・・・
180年後に生まれた 次郎長親分を 知ってるんです。
おかしいでしょ? w
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ということで
「振袖火事」というのがおかしい
という事になります。
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江戸の町 火災が多かったようですが
次郎長親分が 活躍と言うと
1855年11月11日(安政2年10月2日)
安政江戸地震。
マグニチュード7 という規模の地震で
死者は5000人ぐらい言われているものの
実際は1万人超えたのではないかともいわれているようです
倒壊家屋14346戸とされている。
当然のように 火災も起きています
この 江戸での大地震に対して
次郎長は一家を総動員して
清水の町人から米二百俵を集め、
江戸に向かったといいますから
次郎長親分の名声は 江戸の町民にも
響き渡ったことでしょう
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ということで おこもさんの話
振袖火事ではなくて 大きな地震で・・
が 正解なような気がします