小間物屋さんは、荷を担って町中を売り歩く小規模な商いと、
問屋の様な大規模な商いがありました。
荷を担って町中を売り歩く小間物屋さんを
「背負い(しょい)小間物」と呼んだそうです
「守貞謾稿」によると
『小間物売り 昔は高麗(こうらい)等舶来の物を販(ひさ)ぐを高麗物屋(こまものや)と云ふ。高麗と小間と和訓近きをもつて仮字するか。今は笄(こうがい)・簪(かんざし)・櫛・元結・丈長(たけなが=奉書紙の類)・紅白粉(べにおしろい)、あるひは紙入れ・烟草(たばこ)入れ等の類を賈(あきな)ふを云ふ。』とあります。
小間物の語源は「こまごましたもの」ではなく、
最初は、高麗から来た物を扱っていたからなんです
販売している商品は、女性向けのアクセサリーや化粧品の他、
男性用の、紙入れ(長財布)や煙草入れなども扱っていました。
江戸の背負い小間物屋さんは
一人で五~七十軒程のお得意さんを持ち、
そのお得意さんを定期的に回って、商いをします。
「そろそろ、あそこのお客様の家では、あの品が無くなる頃だな。」と
思うと、ちゃんとお客様が切らした品を持って伺うと言う、
きめ細かな商いをしていました
背負い小間物屋さんの営業スタイルは、
高さが二寸ちょっと(5~6cm)、
縦横二尺弱(5~60cm)くらいの、
引き出しの様な箱に商品を分類して入れ、
その箱を十~二十重ねて、風呂敷で包み、
それを背負ってお得意先を回ります。
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小間物屋 というと 鬼平犯科帳の おまささん
小間物の行商を隠れ蓑に 火付盗賊改の密偵として動いています
こういう問屋から仕入れて 行商して売り歩くわけですね
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劇団都のお芝居 小間物屋が登場するのは
「弁天廻道」 弁天小僧が 小間物屋に扮する場面があります。
また 「哀愁の高山 恋慕鳥」では
小間物屋になる ための稽古をする場面があります。
でも 小間物屋というと やはり 「男十三夜」でしょう
新助が カタギになって 小間物屋をするんですね