江戸時代の行商人でございます。
浮世絵の中でも これを見たことが無い人は いないであろうと
おもわれる、 有名な 歌川広重 東海道五拾三次 の 日本橋。
ここにも 棒手振が 描かれています
見にくいので 拡大すると
天秤棒の 前と後ろに 商品をぶらさげて 町中を売り歩くわけです。
広重の この 日本橋に描かれているのは 魚屋さんで・・・
どこで 魚屋とわかるのかと言いますと、桶の中に 板があります。
これが まな板となって 顧客先で 魚をさばいたりしてたんやそうです。
同じ 魚屋さんでも、料亭や居酒屋 旅籠などの プロの料理人相手の
魚屋さんの場合 おろす必要はありませんので 当然 板は必要ありません
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江戸時代後期の 野菜を売り歩く人の 収入が
かれている本がありまして それによると
棒手振の皆さんの生活は、夜明けとともに始まります。夜明けには、例の籠を担いで市場に向かい、
そこで取扱商品を仕入れします。一人の棒手振が扱うのは、2・3種類の商品で、野菜などを商う人は単品という場合も多かったようです。
例えば、カブ、ダイコン、レンコン、イモなどを仕入れ、日没まで売り歩くわけですが、仕入額は600~700文。約1万7000円程度だそうです。
一日、足を棒のようにして売り歩いて、幾らになっていたのか。売り上げは、1200~1300文(3万円~3万3千円)ぐらいだったそうです。日割りの長屋の店賃(たなちん)つまり家賃。年払いの場合120匁、約20万円だったとか。だから、1日あたり 70文ぐらいを 竹筒(貯金箱)へ入れ食費として キープするのが 300文ぐらい次の日の仕入れ代を差し引いて、
100~200文(3千円~5千円)ほどの残りとなる。 当時、農民にしろ大工にしろ、年
間60日の休みがあったといいます。
棒手振も同じ日数を働いたとして、年収を計算するとおよそ29両(290万円)になるとか。月収24万円です。 ■ 上の例は あくまで 野菜です。魚屋になると 「目利き」が重要で 眼力次第で ご贔屓筋が プロの料理人相手になってきます。現代の 仲卸業 のような感じですね。そうなってくると 負荷価値の付いた魚屋さんで・・いわゆる 高級魚を 扱うようになったり売り上げも どんどん上がっていくわけでございます。 ■ 店舗が無くても商売ができ自分の目と腕と足で どんどん 出世ができる 棒手振の 魚屋さんというのは そういう 商売だったわけでございます
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東都名所駿河町之図 歌川広重(初代)画
日本橋 越後屋の絵にも 棒手振りが 描かれていて
木の板、そして 魚がしっかり書かれています。
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遠近海から運ばれてきた魚荷は、
日本橋川に架かる日本橋と江戸橋のあいだに設けた
魚河岸の河岸揚げに到着
こんな 雰囲気だったのでしょうね