足袋(たび)とは、和装の際に足に直接はく衣類の一種。
日本固有の伝統的な衣類で、足に履く一種の下着である。
木綿の布でできたものが一般的。小鉤(こはぜ)と呼ばれる特有の留め具で固定する[。
日本の伝統的な履物である草履・下駄・雪駄などを履く際に用いるため、つま先が親指と他の指の部分の2つに分かれている
文献上は11世紀ごろに「足袋」の記載が見られるが
現在の足袋と同様の物であるかは不明で、
発音も「たび」と呼ばれていたのかは分からない。
明確な起源は分かっていないが、
平安時代の貴族が履いていた下沓(しとうず)と呼ばれる靴下か、
当時の猟師が履いていたとされる皮製の靴下が源流であると考えられている。初期の足袋は足首部分に紐が縫い付けてあり、紐を結ぶことで脱げ落ちないように留めていた。
明暦3年(1657年)に起きた振袖火事によって
皮が品不足となり高騰したことから、
木綿製のものが急速に普及していったと言われている。
木綿製足袋の普及と同時に、紐止め式からボタン止め式へ
と足袋を留める方式も変化していった。
宝暦年間に夏足袋ができて以降、
履かれるようになったという]。
現在の足袋は「小鉤(こはぜ)」(甲馳、牙籤、甲鉤、骨板)
と呼ばれる金属製の金具(ホック)を
「受け糸」(または掛け糸)と呼ばれる糸のループに引っ掛けて留めるようになっているが、
この方式は江戸後期から明治前期にかけて普及したものである。
<wikipedia>
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上の文章の 重要な部分
現在の足袋は「小鉤(こはぜ)」と呼ばれる金属製の金具(ホック)を
「受け糸」と呼ばれる糸のループに引っ掛けて留めるようになっているが、この方式は江戸後期から明治前期にかけて普及したものである。
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江戸時代の 前期以前は 現在のような
コハゼで留める 足袋ではなく 紐で結ぶものであった。
ということです。
詳しく 調べると 「元禄(1688~1704)の頃には、中国から渡ってきた財布に付いていた爪を応 用して、現在の足袋の原型となる、足首を鞐(こはぜ)でとめる足袋が紐足袋に変わるものとし て発明された。」
と 書かれている文章も見つかった。
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ということは 江戸時代半ばの 吉宗の頃 や 忠臣蔵の時には
コハゼ方式でも 問題がないようです。
問題となるのは 「江戸時代初期」 家光の頃の話ですわね
ということで
歌舞伎の場合 室町時代のお話は 当然のこととして
江戸時代初期の 「幡随院長兵衛」のときには
紐付きの足袋が 用いられている用です。