きちがい(英語: Mad、Lunatic)とは、本来は発狂した人間、
端的に状態が著しく常軌を逸した人間を指す。
漢字では気違い、気狂いと表記する。
また、気が違う、気が狂う、気がふれる、狂人(きょうじん)、
キチガイ、キ印(キじるし)とも表現する。
インターネットスラングでは基地外、
または略してキチ、基地と表記することもある。
動詞にすると、「気違いじみる」(自上一)などと使われる。
転じて精神障害者、知的障害者、または理性が欠如した者に
対する、蔑称として使われる。
(中略)
現在ではほとんどの放送局で放送禁止用語とされるか、あるいは放送を自粛すべき言葉とされている。これが転化して放送禁止用語=差別用語とみなされるようになった。
<wikipedia>
■
横溝正史の探偵小説 金田一耕助シリーズのひとつに
「獄門島」という 作品があり、
数度にわたり テレビドラマ化もされる名作。
○
終戦から1年経った昭和21年9月下旬。金田一耕助は、引き揚げ船内でマラリアで死んだ戦友・鬼頭千万太(きとう ちまた)の死を知らせるため、千万太の故郷・瀬戸内海に浮かぶ、獄門島へと船で向かった
獄門島は封建的な因習の残る孤島で、島の網元である鬼頭家は、本鬼頭(ほんきとう)と分鬼頭(わけきとう)に分かれ対立していた。
千万太は本鬼頭の本家、一は分家であった。
本鬼頭家には、美しいがいまだ幼子のような千万太の異母妹3人と、同じく美しくしっかりした一の妹の早苗がいたが、当主である千万太の父は発狂して座敷牢に入っていたため、千光寺の和尚・了念、村長の荒木、医者の幸庵が後見人となっていた。
金田一が千万太の死を告げた後、正式な公報も入ったので千万太の葬儀が行われた。その夜、3姉妹の三女の花子が行方不明となった。
了念和尚の指示で捜索が行われたが見つからない。捜索に協力していた金田一は寺へ戻る途中、先を行く和尚の提灯の火を追って歩いていたところ、先に境内に入った和尚があわてて金田一を呼びつける。寺の庭では花子が足を帯で縛られ梅の古木から逆さまにぶら下げられて死んでいた。
金田一は和尚が念仏を唱える中
「きちがいじゃが仕方がない」
とつぶやくのを耳にした
○
原作では こうなっていて
金田一は 「きちがい」を 発狂した千万太の父をさす
と誤解するのですが 実は 「季ちがい」だったと 後でわかります。
この小説 俳句になぞらえた連続殺人で
「むざんやな 冑(かぶと)の下の きりぎりす」
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」
「鶯(うぐいす)の身を逆(さかさま)に初音かな」
これらの俳句のように 死体を細工してあった。
和尚は 今の季節は秋、、うぐいすの季節ではないが
しかたない。と 言っていたことが あとになって判明します。
■
こういう デリケートな 文言がありますから
テレビドラマ化されるたびに・・・ その 「きちがい」を
どうするのかというのが 問題となるのでしょう
ドラマ化のたびに いろんな工夫をして 回避しています
■
「きちがいじゃが仕方がない」を「きがかわっているが仕方がない」と
いう言い回しにして禁止用語を回避するパターン
「“き”が違っている」の「気」を「樹(いちじくの木)」と表現するパターン
そもそもの季節を秋ではなく 春にして
「季ちがい」では なくすパターン
意外や意外、
NHKでの 2016年の ドラマ化では
原作の表現を尊重 そのままのセリフで 放送し
桃象は かなり驚きました