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Channel: 桃象の観劇書付
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【用語解説】絵島生島 (えじま・いくしま)  

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徳川幕府七代将軍・家継の時代。
その時 大奥で最も権力を持っていたのは

 

幼い将軍家継の生母である   月光院

先代将軍・家宣の正室である 天英院

この二人をトップに、女たちは対立していた。
 

政治の表舞台でも、幼い将軍を支える立場である

間部越前守と他の老中間で対立しており、

表と奥とはそれぞれを巻き込みながら対立を深めていた

 

大奥総取締・絵島は、

二十四歳で徳川家継の生母 お喜世の方(後の月光院)に

仕え、家宣が綱吉の後継者として六代将軍になった時、

月光院に付いて江戸城内に入り四百石を賜る。

二十九歳で年寄りとなり家宣が死去後、

家継が将軍となった32歳の時6百石を加増され大年寄りとなり、

千人からなる大奥女中を取り仕切る権力を持ったことになる。

千石といえば大名格。

 

月光院は、間部越前守と情を通じていた。

それを見てしまった 絵島はショックを受ける。

そこで 知られてしまった月光院は 絵島にも男を紹介する。

 

奥医師好竹院に命じ、人気役者 生島新五郎を秘かに

大奥に迎え入れた。

 

生島新五郎は濡れ・やつしの名手と賞賛される

当代一の人気役者だった。

早くに父を失った二代目團十郎を指導し、

後に二代目が豪快な荒事芸ばかりではなく

優雅でやさしい和事芸や、実事をも演ずることができるように

なったのもこの新五郎の指導によるものともいわれているほどの

役者であった。

 

そして 絵島生島は接近する。

 

絵島月光院のためだけに生き、一生彼女を支え

大奥で生涯を送る覚悟を決めていた。

しかし、生島と接するうちに彼に惹かれていく。

同様に、生島絵島に惹かれ始めていた。

 

一方、天英院らの策略に気付き始めていた越前守は、

月光院から遠ざかる。

一心に越前守を想う月光院は会えない辛さからふさぎ込み、

倒れてしまう。
生島と出会い、恋心を初めて知った絵島は、

月光院の辛い恋心を理解する。

 

正徳4年1月12日(1714年2月26日)、絵島は、

月光院の名代として芝・増上寺へ前将軍家宣の墓参に赴き

 

その帰途、絵島は大勢の女中を引き連れ、

木挽町の芝居小屋・山村座で芝居見物をし

その後 芝居小屋2階の桟敷席を貸し切り 生島ら役者と飲食。

 

当時、大奥の女中が外出時に芝居見物をすることは

黙認されていましたが、

 

芝居小屋が火事になってしまいます。

生島に助け出された絵島は、火事の混乱に紛れて

生島と一夜を過ごしてしまいます。

 

「大奥の門限 七つ時」は 絶対です。

下っ端の女中なら 大問題には発展しないような事件かも

しれませんが、事は 大名格の絵島。

 

月光院と 対立している 天英院に とっては

月光院派を 追い落とす最大のチャンス到来。

 

大奥の秩序が乱れていると 大きな問題として

評定所や江戸中町奉行らによって関係者が徹底的に調べられ

ました。

 

そして 生島は拷問に遭い、絵島との情交を自白

絵島の「淫行」はその一日だけに留まらないことが明らかになり、

厳しい処分を受けました。

 

絵島の罪状は、「おのが情欲に負けて大奥の重い職責にありながら

風紀を乱した」とされ死罪。

しかし、罪一等を減じられて信州高遠に遠流(おんる: 死ぬまで流される)となり生島は三宅島に流罪

 

このとき、死罪二人、流罪十人を含む約千五百人に及ぶ

罪人が出たといいます。

 

 

絵島は

江戸から 5泊かけて 高遠藩まで 連れていかれました

 

 


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