山本周五郎 「糸車」
■
お高という養女19歳の主人公には,
2年前脳卒中を病んで勤めを退いた父依田啓七郎と,10歳の弟松之助がいて,母は3年前に亡くしている。
お高が,木綿糸を編んで生計を立てて,父や弟の面倒をみていた。 お高には実の親がいた。松本藩に仕えていた西村金太夫だ。
身分も軽困窮していた時代に次々と子が生まれ,
松代藩の依田啓七郎にお高を遣(や)ったのである。
ところが,金太夫は不思議なほど幸運に恵まれ,
次第に重く用いられ,数年前には勘定方頭取り
五百五十石の身分にまで出世したのである。
こうなると,貧しい暮しをしているお高の身の上が案じられ,
しかるべき人を立て,引き取ることにする。
前にも一度引き取りに来たが,お高は泣いて,
頑として願いを聞き入れなかった。
そこで,依田啓七郎は,夕飯の後お高に肩をもませながら,
「お梶殿のご病気は大変重いようだ。一目会いたいという
気持ちもおいたわしい。
お前も一度ぐらいは看病したいだろう。」と騙して,
松本の実家に行かせる。
季節は,すっかり春めいて,20里の道のりを3日
かかって松本の城下へ着いた。
西村の家は,長屋門を巡らせたかなり広い屋敷であった。
五十あまりとみえる婦人が現れ,笑顔で出迎えた。
お梶(かじ)であった。
お高は,病気は拵(こしら)えごとだとすぐ悟る。
夕食のとき父・兄弟と会わされる。
その場で目にする燭台はまばゆいほどに明るく,
大和絵を描いた屏風の丹青も浮くばかり美しかった。
かずかずの料理も高価な材料で作られていた。
その時自分の家の様子,食事の様子,
依田の父と松之助のことを思い浮かべた。
お高は比べたのである。
今,眼前にあるものと比べれば,どんなにか貧しいだろう。
しかし,その一皿の菜をどんなに心をあて作るだろう,
また父や松之助が,どんなにか喜んで食べてくれるだろうと
思うのであった。
お高は,三日目の夜,お梶に明日松代へ帰ると言うと,
「もう依田殿と話はついているんだよ。」と,
依田啓七郎の手紙を見せたり,切々とすがりつくような
母親の情で訴える。
お高は,心を引き裂かれるような思いで,
これが親の愛情,悲しいほどまっすぐな愛だと感じ,
母の温かい愛の中にへ崩れかかりそうになる。
けれども,お高は,懸命に崩れかかりそうになる心を支えた。
依田の家を出て,その愛を受けることは,人の道に外れるのだ。
お高は,肩をもませながら松本へ行けと言った父のことを思い出した。
どんなにかつらい気持ちでおっしゃったことだろう。
「父もいい父です。弟も母のように頼っています。
私は,あの家のことは忘れることができません。」と,
お高は,お梶(かじ)に言った。
お高は,あくる朝,まだほの暗いうちに松本を発った。
家に帰ると,お高はこう言った。
「幸せとは,親と子がそろって,
たとえ貧しくとも一椀(ひとわん)の粥(かゆ)を啜(すす)り合っても,
親子がそろって暮らしてゆく,
それがなによりの仕合せだと思います。・・
どうぞお高をおそばに置いて下さいまし,父上。」
稽古から帰って,表で二人の話を聞いていた松之助が,
涙をいっぱいためて,
姉と並んで、「どうぞ姉上を家に置いてあげてください。」と言った。
長いことお高と松之助のむせび上げる声が,
貧しい部屋の壁や襖(ふすま)へしみいるように聞こえていた。
「では家にいるがよい。もう松本へはやらぬから。」と
啓七郎がうめくような声で言った。
爽やかな朝の日光が障子いっぱいにさしつけている。
いかにも春らしく、心を温められるような明るさだ。
お高の操る糸車の音が,ぶんぶんと
そのうららかな朝の空気を震わせて聞こえてくる,
啓七郎は,それを聞きながら,松之助にこう言った。
「おまえ成人したら姉上をずいぶん仕合せにしてあげなければ,
いけないぞ。姉上は,この父やおまえのために
せっかく仕合せになれる運を捨てて呉れたのだ。」
松之助は,はっきりと頷(うなず)いた。
糸車の音はぶんぶんと歌うようにしずかな呻(うな)りを続けていた。