最近の 劇団都の場合、人数の問題もあり
ショートカットバージョンで 行われていると思うのですが
従来の ロングバージョンを もとに考えてみましょう。
■
2010年の 朝日劇場での 玄海一座
お芝居 「涙の戻り橋」
甘酒屋のおじさん 新吉 玄海竜二
巡査 清次郎 都京弥
加代 (幼少期) 都ゆな
巾着きりの親方 四城かずや
巾着きりの女房 お滝 天乃ゆき
人形町大和屋手代 辰吉 沢村菊乃助
辰吉の父 甚兵衛 片岡長次郎
甘酒屋の客 おすみ 光乃みな
博多の武士 山口 都京太郎
博多の武士 石田 三都見金蔵
悪ガキ 華乃せりな
悪ガキ 沢村まゆか
悪ガキ 都るい
下っぴき 四城かずや
下っぴき 沢村菊乃助
下っぴき 三都見金蔵
下っぴき 天乃ゆき
下っぴき 光乃みな
女盗賊 女郎蜘蛛 (加代) 藤乃かな
こんな配役で 行われたものを 参考にします。
■
甘酒屋のおじさんの話によると
娘が 生まれたのが 文久3年3月3日 辰年生まれ
娘と はぐれたのが 娘が6才になった寒い冬の晩
再会するのが はぐれてから20年後
というのを 単純に計算すると
生まれたのが 文久3年3月3日
はぐれたのが 慶応3年冬
再会したのが 明治20年
ということになります、
■
① そもそも 文久3年 は 辰年ではありません。
② 「手代が掛け金を取りに行って受け取ったのが 50両」
この日は「円}ではなく 「両」でした。
明治新政府は明治7年、旧徳川幕府時代のこれら貨幣と新円・銭(せん)・厘との交換比率を発令し一般通用を禁止している。
とはいえ 交換が一気に行われたわけではなく
明治21年ぐらいまで 「両」が 流通していたようです。
再会したのが明治20年なら ギリギリ セーフ。
③ 「太政官様発行の紙のお札」
太政官様発行の紙のお札だといって 辰吉の父 甚兵衛に
女郎蜘蛛が おさつを渡します。
太政官札は 明治元年から明治2年まで発行された
明治政府の紙幣。通貨単位は両、分、朱のまま。
明治12年11月までに 新紙幣と交換回収されるまで
流通したとあります、。
したがって 明治20年に太政官様発行の紙のお札が
使われているのは不自然です
④ 「武士の持っている刀」
明治3年に 庶民の帯刀を禁止、
明治4年に 士族の帯刀を自由に・・
そして 明治9年には 廃刀令が出され、
警察官以外の帯刀が禁止されている
再会したのが明治20年であれば
政五郎や清次郎の巡査たちは
熊本と鹿児島の武士が持っている刀について異議をとなえ
とりあげなげればならないのです。
■
武士の刀 も 勘案すると
甘酒屋の親と 子供が再会するのは
明治9年以前でなければ おかしいのです。
明治4年夏に出された「断髪令」を
考えると 明治4年以降であるほうが自然です
この二つを考えると
戻り橋の 最後の場面 明治4年~明治9年の間
ということになります。
■
さらに 巡査問題 というのも実はあります。
明治4年、政府は、東京で3,000人の羅卒(らそつ)(現在の警察官)を
採用し、屯所( とんしょ)(現在の警察署)を中心にパトロール等を行わせることとした。 その後、東京警視庁が設置された7年には、
羅卒(らそつ)を 巡査と改称するとともに、
巡査を東京の各「交番所」に配置した。
という 歴史があります
ということで 清次郎の お仕事が 「巡羅(じゅんら)」であれば
明治4年からで いいんですが、
「巡査」で あった場合は 明治7年以降ということになります。