丁子屋といっても 全国に いろいろありまして
東海道 丸子(まりこ)宿の
とろろ汁で有名な 丁子屋もあるわけですが
今回は
江戸は 日本橋 堀留(ほりどめ)にあった
織物問屋の丁子屋について
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江戸で 大活躍した商人は
伊勢商人 大坂商人 と 並んで 近江商人
大丸 髙島屋 東急百貨店 西武グループ 伊藤忠商事 丸紅
住友グループ 日商岩井 ニチメン トーメン 日清紡 東洋紡
ワコール 西川 トヨタ自動車 日本生命 武田薬品 ニチレイ
これらの企業 実は 近江商人の流れを組む 会社なんです
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織物問屋 丁子屋さんも 近江商人
小林吟右衛門という人が 近江で 行商をしていた人が
江戸へ進出して
日本橋 堀留(ほりどめ)に 丁子屋という織物問屋を開きます
地名にもあるように 堀の留(最後)の場所で
船による 江戸の運搬基地のような場所でございます
小林吟右衛門という人 なにがすごいのかというと
各地の農村の万屋(よろずや)に別送した商品を委託する
という 問屋機能を確立するとともに
織物だけではなく 菅笠や 紅花 綿織物などの 太物もあつかい
現代でいう Amazon の 機能を 江戸時代に作るわけですわ
それで 利益を 得ると 江戸・京都・大坂の三都に店を持ち、
手広く商いを行う押しも押されもせぬ豪商としての地位を築きあげた。
さらには 彦根藩為替方御用達もつとめ、
苗字帯刀を許され 井伊直弼 とも親交があった。
そんな絶頂の時に、ある「事件」が起きた。
文久元年(1861年)11月 京都の両替商・
伊勢屋藤兵衛が100万両の損失を出し、閉店した。
倒産である。
伊勢屋は江戸にも支店があり、近江商人の間には信用があり、
取り引きをする者が多い店だった。
伊勢屋閉店のニュースが伝わると、ちまたはバニックになった。
伊勢屋に5000両を振り込んでいたある商人は、
大慌てで回収の方法をとった。
だが、この倒産による最大の被害者は丁吟であった。
吟右衛門、63才の時である。
半生をかけて築いた財産が失われた。
14万両 今の貨幣価値に換算すると、
300億円相当の金額である。
丁吟がいま14万両の損失を出したと言えば、
丁吟が危ないと思って為替の返戻を請求してくるであろう。
したがって、その支払い準備こそが急務である」と、
丁吟の信用不安と取り付け騒ぎに対処するために、
陣頭指揮に当たった。
案の定、続々と返戻の請求が来た。
丁吟では、それに応じてすぐに支払いをした。
丁吟の対応を見て、富の膨大なことを知った
預金者たちはいったん返戻した金を再び預けに来た。
この機敏で適切な処置により、
丁吟と吟右衛門の信用は一段と上がり
豪商としての名をさらに高めた。
その損失後 再び 14万両の財産を築いたといいます
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さて この 丁子屋さん
どのお芝居に 登場するのかというと
劇団都の「釣り忍」、
他の劇団の 釣り忍には 登場しません。
なぜならば 原作に記載もない 劇団都オリジナル部分
登場する場面は うかっとしていると 聞き逃してしまう場面です
親族会議の場面 劇団都の場合
定次郎に 親族が 縁談の話をすすめようとします
本家が 突然
「うちの店でも 世話になっている 織物問屋 丁子屋の娘」
を 定次郎の嫁にどうか・・と 言い出すんですね
それに対して 母親 おみちは びっくりしてますし
佐太郎は 「定次郎には おはんさんという決まった方が」
と 言うわけです
織物問屋 丁子屋というのが
押しも押されもせぬ豪商 であるということを 知っていると
この場面での、おみちの驚き 親族の表情など
見方も変わってきます
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11月 横浜三吉演芸場 劇団花吹雪
花吹雪で 「釣り忍」をするのは はじめてということもあり
ゲスト出演の 藤乃かなが お芝居をたてました
そのため 親族会議の場面も
他劇団のような爆笑スタイルではなく
劇団都の がっちりした形で行われ
上に書いた 定次郎の縁談話も そのままありました。
が、、御本家さん どういうわけだか
「糸問屋の丁子屋の娘」
という 表現をしたのが 残念でございました