日本の海賊の場合
現在イメージする海の盗賊団という意味ではなく、
中世において、船団によって海上を制圧していた各地の軍団のことで、水軍とも呼ばれています。
その中において 、とりわけ
熊野海賊の ひとつ 志摩国海賊(九鬼水軍)が有名です
伊勢・志摩の海賊衆は、関東から東海にかけての
戦国大名の水軍として組織され、
北条氏・武田氏・徳川氏などの戦国大名の海上戦力となるとともに、
伊勢の米をはじめとする物資を関東方面に供給する廻船としての
役割も果たしていたようです。
九鬼氏は、織田信長に仕えることとなり、伊勢長島の一向一揆攻めで功績をあげ、大きく力を伸ばしました。
信長の死後は秀吉に仕え、朝鮮へも主力水軍として従軍しています。
九鬼嘉隆は志摩国3万石の大名として鳥羽城を築城した。
鳥羽城は海に向かって
大手門を開いて建造されたため「浮き城」と呼ばれ、
志摩国海賊(九鬼水軍)に似合った城だったそうです。
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鳥羽一郎の 「海賊の舟唄」
歌詞の中に「九鬼(おに) になれ」というのがあるように
その九鬼水軍のことを 唄っています。