箱屋とは
芸妓の三味線を箱に納め、提灯を持ち、
座敷に向かう芸妓に同行する付き人のような存在で、
道中の芸妓の警備も兼ねていた
歌麿 雪中芸者と箱屋
芸者に付き添っている人は、
絵の如く三味線箱を持ってゆくのを箱屋というのだそうである。
芸者の置屋に籍を置いていた。という。
京阪の三味線は三ツ継ぎといって分解可能。
江戸の三味線は分解しないで長い箱に入れ、
呼ばれた座敷まで
箱屋が小脇に抱えて芸者について行く。。
この箱は、白木作りやら、漆塗りで角に金物を売ってある。
箱には芸者置屋の紋や、自分の好みの紋を黒や、
金蒔絵で入れていた。
現代の芸者は箱屋を連れないで、自分で包んで持って歩く。
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「明治一代女」は 実際に起きた 箱屋事件をもとに
川口松太郎が 小説 戯曲化したもの。
実際の 箱屋事件は 以下の通りだったらしい
花井お梅(はないおうめ)は
9歳の時に身売りをされ、15歳の時に柳橋で芸妓になる
18歳の時に京橋日吉町(現在の銀座)に移った後は、
秀吉という源氏名で浮き名を流しました。
やがて23歳となった明治十九年(1886年)、
お梅は日本橋浜町に「酔月楼」という
待合茶屋(まちあいぢゃや=待ち合わせや宴会などに場所を提供する貸席業)を開店して、女将となります。
しかし、その店の名義が、父の花井専之助だった事から、
父が度々経営に口出す事で、父娘で営業上の争いが絶えなかった
そんな時に、彼女が悩みをうち明けていた相談相手が、
八杉峰三郎という男でした。
彼は、通称を箱屋峰吉という彼女の奉公人
彼女が秀吉と名乗っていた京橋の時代からの雇人でした。
長年の親しさからもあって、
父の不満を「あーだ」「こーだ」と峰三郎にブチまけるお梅・・・
ある意味、単なるストレス解消だったのかも知れませんが、
この峰三郎が、ことごとく父の味方をするのです。
黙って「フンフン」と聞いていてくれれば、
言いたい事言って、あとはスッキリするのでしょうが、
ことごとく反論されれば、そのストレスは溜まる一方・・・
父への腹立ちが、やがて峰三郎に向いていきます。
かくして、店を開店した翌年の明治二十年(1887年)6月9日、
夜の9時・・・密かに出刃包丁を隠し持ったお梅は、
辻待ちの車夫に頼んで、峰三郎を呼び出し、
自宅門前の土蔵の脇(浜町河岸=はまちょうがし)で、
彼を刺殺したのです。
その後、ぼう然としながらも
凶器の包丁を持ったまま日本橋久松署に自首