「赤尾の林蔵」あるいは「上尾の林蔵」というのは
通り名で 本名は 山崎林蔵。
埼玉人物事典と言う本に
「赤尾の林蔵は本名 山崎林蔵
林蔵は安永八年(一七七九)に生まれて
文化元年(一八〇四)に死んだ。
赤尾村(現坂戸 市)生まれの博徒」と 記載があるそうな。
その 死んだとされている年については
いろいろ 伝承があるものの
墓石に 刻まれたものを 採用してあると言います
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26才 というのは
生まれたときが一歳、正月を迎えるたびに +1 を加算する
数え年による年齢方式でしょうから、
満年齢で言うと 25あるいは24才でございます。
文化元年 と言っても わかりにくいでしょうが
江戸時代後期 文化文政時代(1804年-1830年)
江戸期の町人文化の全盛期にあたり、そんな年なんですね
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お芝居 「赤尾の林蔵」では
林蔵親分 島送りから帰ってくると
はじめて 自分に 娘がいることを知らされます。
島送りになった直後 子供ができていたことが判明し
その奥さんは 産後のヒダチが悪く亡くなってしまった と。
ということで その 娘が
仮に 16才であるならば 島送りの期間は16年だし
18才だと 島送りの期間は 18年ということになります。
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林蔵が 満25才で亡くなったとすれば
娘が 満15歳だとしても 変ですよね
お芝居の根底が崩れてしまいます
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林蔵は 島送りから戻ってはきたものの
その戻った日 あるいは 次の日に 亡くなってしまった為
島送りにされた年 文化元年を 命日として
墓石に刻んだのではないか
という 設定にすると つじつまがあうんですね
そこで
文化元年(1804) 林蔵が 島送りになる
文化 2年 (1805) 林蔵の娘 生まれる
文政 4年(1822) 二代将軍秀忠の200回忌の
特赦で林蔵が 島から戻ってきた。
そして・・・ と 設定すると
赤尾林蔵 44才 (満年齢 43 あるいは 42 )
林蔵の娘は 18才 (満年齢 17 あるいは 16 )
と なるわけでございます。
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実は 劇団都で 都京太郎座長が
このお芝居を初演するにあたり
京太郎さんから 桃象は 相談を受けたんです。
京太郎 「林蔵って『老け(ふけ)』」で 無くていいよね」
ということで 桃象 上のような説明をして
40代半ば設定でいきましょうよと 説明
京太郎さんとしては 娘は嫁入り盛りにしたいということで
娘は 20才(満19)に するということで
赤尾林蔵 46才 (満年齢 45 あるいは 44 )
林蔵の娘は 20才 (満年齢 19 あるいは 18 )
島送り20年 という設定で行うことに 当時決めたんですよね。