goo辞書によると このように 書かれています。
1 禅宗で、僧堂の外で食事のもてなし(陪食 (ばいしょく) )を受けること。また、その食べ物。
2 禅宗で、僧の飯米をつかさどること。また、その僧や飯米。
3 他人に食事を施すこと。また、その食事・飯米。
4 物ごいをすること。また、その人。こじき。ものもらい。ほいと。
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禅宗で 外で 食物をもらうことを 「陪堂(ほうとう)」と呼び
そういう人 「物をもらう人」という意味で 使用されはじめた
ということらしい。
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この 辞書にも 乞食(こじき)という説明が書かれているのですが
乞食は
生活するために人から金銭を強要する行為、
物乞い行為(法律違反行為です)
日本国憲法第27条を根拠法として、軽犯罪法で禁止されています。
職業的に 「芸をして 金銭や食べ物をもらう」
現在でいう 大道芸の人たちは
乞食ではなく 「ほいと芸人」と 呼ばれたんやそうです。
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お芝居 下北の弥太郎に
三味線を弾いて その芸に対して 金銭や食事をもらう
「ぼさま」が 登場して
自らのことを 「ほいと芸人」というわけですが
現代語訳すると 「大道芸人」と 考えるのが正しいようです。
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江戸時代、当時盲目の人達は生きていくためには
主に按摩になるか芸人になるほかなかったようです
(越後ゴゼや琵琶法師等)。
彼らの多くは疱瘡や麻疹などで失明をしてしまい、
まだ少年である彼らのほとんどが家族から絶縁され、
米俵などを師匠に納め弟子入りして修業、独立し、
生きる為に一人放浪しながら三味線を弾き歩きました。
そんな芸人達を津軽ではボサマ(坊様)と呼ぶんやそうです