かつて日本橋には絢爛なる「雛文化」が存在した。
泉鏡花の「日本橋」に描かれた「雛祭り」、
美意識と性差を重んじる日本特有の“粋”の姿が描かれている。
上巳の節句「雛祭り」は、女児の成長や健康を願い行われる、
世界でも稀な女の子のための行事。
もともとは、無病息災を願う厄払いの行事で
人形(ひとがた)に災いや辛苦を託し、
川に流す「流し雛」と、上流階級の女の子たちが興じていた
「ひいな(人形)遊び」が結びついたものが、
「雛祭り」の由来とされている。
泉鏡花の「日本橋」は、1914年(大正3年)に発表された作品で
日本橋の花街を舞台にした男女の色恋沙汰は、
奥手で不器用な現代人の恋愛にも通じるものがある。
鏡花は、評判を呼んだ小説を自から戯曲とした。
「雛の節句のあくる晩、 春で、朧で、御縁日。
同じ栄螺(さざえ)と蛤(はまぐり)を放して、
巡査の帳面に、名を並べて、 女房と名のって、
一所に詣る西河岸の、お地蔵様が縁結び。
これで出来なきや、日本は暗夜(やみ)だわ」
3月4日の夜、思いを寄せる芸者清葉に振られた男は、
姉の形見の雛人形に供えられていた栄螺と蛤を
放生会(供養のため、捕らえられた生き物を放してやる儀式)を
する姿を、警官にしつこく咎められてしまう。
そこに現われた芸者お考は、自分の夫だと偽って、
男に救いの手を差し伸べる。
実はこのお考と清葉、
日本橋の花街で人気を二分するライバル芸者であった…。
この物語に登場する男と女は、
まるで赤い絨毯の上で、凛々しく唄と囃子に踊らされる
雛人形のようにも思える。