法印 大五郎(ほういん だいごろう
山伏から清水次郎長配下に入ったとされ、
「清水二十八人衆」に数えられる。
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政二年(西暦1855年)の四月半ば、
次郎長が江尻(現・静岡県静岡市清水区)の
渡世場(なわばりの賭場のこと)を見回っていると、
大勢の子分たちが、ひとりの男を胴上げにして
巴川(清水市街から清水港に注ぐ川)へ放り込もうとしている。
子分たちにその訳を聞くと、賭場荒らしだという。
次郎長は、男の身柄を引き受け、子分たちを賭場へ戻す。
次郎長は、十日も湯に入っていないという男を風呂に入らせ、
その間に女中に一両をやって、着物などを用意させる。
湯から上がった男は酒好きとみえて、
言葉巧みに次郎長に酒をねだる。
男は、出羽羽黒(現・山形県の羽黒山)の
法印(僧位)で平山寛山、もっともいまはやくざ者となり、
武居安五郎の子分で法印大五郎という。
なぜ清水で自分の賭場を荒らしたのか問いただす次郎長。
男が言うには、小遣い稼ぎに覗いてみたところ、
思いのほか大きな賭け事をしていたので、驚いた。
手持ちの金が一両二分しかないので困っていたら、
次郎長の子分の小政が罵声を浴びせてきたので
喧嘩になったという。
それを聞き、ささいな喧嘩だと知った次郎長は、
大五郎の親分・武居について大五郎に尋ねる。
すると、大五郎は武居は「人の皮を着た畜生」だと言う。
親分の悪口をいうことが許せない次郎長は激昂して
大五郎を問いただすと、その訳を語りはじめた。
大五郎が甲州(現・山梨県)にいたころ、
兄弟分に小五郎という、侍崩れの男がいた。
その小五郎が、一ヶ月ばかり旅に出たあいだ、
小五郎の女房・お島が男をつくったという。
なんと、小五郎の女房・お島と間男したのは、
大五郎の親分・武 居安五郎であった。
安五郎は、小五郎とお島が、
元のお島の夫を殺害して五十両を盗み駆け落ちした
過去を持ち出して開き直る。
小五郎は平身低頭、お島を安五郎に譲る代わりに、
いままでどおりの親分・子分の関係でいさせてほしいと懇願する。
安五郎は小五郎に十両渡すも、
小五郎から一部始終を聞いた大五郎は、
十両を安五郎に突き返し、啖呵を切って逃げてきたという。
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そんな きっかけで 次郎長の子分になった 坊主の大五郎、
お芝居「相撲常と大五郎」では
とんでもないことを しでかします