祐天上人は
歌舞伎の「累物(かさねもの)」の題材である
「累伝説」の怨霊を除霊したことで有名な高僧。
それだけではなく 江戸町火消しの「いろは四十八組」の
基礎を作ったり、幾人もの妊婦を難産から救ったり、
と驚きの業績が伝わっています。
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祐天上人は寛永14年(1637年)
福島県いわき市四倉町上仁井田で生まれ、
その後僧侶を目指します。
12歳のとき、祖父が江戸の芝増上寺にいた関係で
増上寺檀通上人の弟子となり僧名を祐典と名乗ります。
しかし、祐典は出来が悪く
檀通上人から勘当され悩み自殺までしますが助けられ、
また改心し、成田山新勝寺の修法道場(断食修行)で
神仏に願いをかけ21日間修行を行います。
その結願の日、雷鳴が轟いて寺の僧侶が不動明王の姿となり、
祐天に「お前は前世の因縁により、文字の読めないものとなった。
智慧を得たいなら、長短の剣のうち一振りを飲んで、
悪血を吐き出すが良い。長い剣、短い剣のどちらを飲むか」
と迫った。
祐天は「呑んで死ぬのが同じなら、長い剣を呑みます」
と答えると、不動明王は裕天の喉に剣を突き立てて、
裕天の体を貫いた。
裕天は絶命したが、まもなく蘇生したところ、
周囲の僧侶が般若経を読み聞かせたところ、
一度聴いただけで正確に覚えるようになったという。
のち裕天は増上寺住職となり、死後は祐天寺に祀られた。
以降、浄土宗の僧侶までもが成田山に参詣するようになったという。
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この 祐天と不動明王の逸話が 有名だそうで
このように いろいろ描かれています。
また 祐天上人の パワー や 心意気に 共感して
入れ墨を した人もいたようです
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お芝居 「浅草三兄弟」に 登場する 祐天吉松。
講談では 主役で その 話によると
吉松の背中に入れた
祐天上人の入れ墨 から 「祐天」という 通り名なんだそうです