残菊物語
舞台は 寺島家 (菊五郎の本名)、
菊五郎には 幸三という息子(後の六代目菊五郎)が生まれ、
その 乳母として お徳が働いていた。
お徳は 所帯をもって一年後、亭主に死なれ、
子供は亭主の実家に引き取られ、お徳は浅草の実家へ戻った。
そういう経緯もあり、お徳は この家で乳母として
働くようになった経緯があるらしい。
場面は 寺島家の外 築地川
菊之助は 菊五郎に叱られたこともあり、
自信を無くしていた。役者には向いてないのかもしれないと
ふと お徳に愚痴をこぼす。
なあ お徳、さっき 幸坊に子守唄をうたって聞かせてたね?
もういぺん 歌ってみてくれないか
もう坊ちゃまが寝てしまったのに?
しみじみとした いい歌だった。もういっぺん 聞いてみたい
いやですよ。そんな決まりの悪い
俺は 子守唄ってものを 歌ってもらった記憶が無い。
向島の母親は、商売が忙しいせいもあって、
ついぞ子守唄をうたってくれなかった。
こっちのおふくろさんは、はなから
俺を芸の跡取りとしか見ていなかったし
我ながら、さみしい子供時代さ
俺の芸が、いまひとつぱっとしないのも
そんな生い立ちの影が
ひとりでに舞台に出てしまうのかもしれないな
だとしたら、俺がいくら修業したって無駄さ。
俺の芸が伸びないのは、俺のせいじゃない。
生い立ちのせいだ。
な、そう思うだろ?
いいえ、思いません。
たしかに 若旦那が、おさみしい子供時代を
お過ごしだというのは わかりました。
わたしは まずしい塗り師の娘でしたけど、
両親に育てられましたし、兄や姉もいました
それにひきかえ、若旦那はお気の毒だと思います。
でも ちいさいときにつらい思いをなさった方は
世の中にいくらでもいるんじゃないんですか
みなさん そのつらい思いを 乗り越えて、、
それを 乗り越えたからこそ
今は 立派に仕事をしているひとだって
大勢いると思うんです
でも 役者は、身体に匂いや 器量で勝負だから・・
だったら、立派な役者さんは、生まれついての器量よしで、
何不自由なく育ってきたっておっしゃるんですか?
そうじゃないでしょ。
みなさん いろんなつらい思いや いろんなことを
乗り越えて、それに負けなかったからこそ
名優と言われるようになったんだと思います
若旦那はずるいです
自分の芸が上達しないのを、自分の生い立ちの
せいなんかにして逃げているんです。
自分が世の中で一番、ふしあわせそうな顔をして、
意気地なしですよ。
・・・・
ごめんなさい。 すいません
お徳、おまえの言うとおりかもしれない。
あたしったら、奉公人の分際で・・・・すいません。
おまえのように まっすぐに言ってくれたのは初めてだ。
おやじは芸のことでは俺を叱るが、
あとは何をしたって見て見ぬふり
弟子や女中連中も、いいかげんなお世辞ばかりだ。
なあ お徳、これからも 俺が間違ってると思ったら、
なんでも言っとくれ
おまえにきついこと言われると、なんだか かえって元気になる
菊之助にとって お徳が無くてはならない人になった瞬間である。
こんな発端で 二人は恋に落ちます
■ 年表
■ 東京
木挽町は江戸時代から芝居の町
新富座のあたりには 役者住居も多数
寺島家(菊五郎家)も この界隈
浅草寺近くの猿若町も芝居町
菊五郎の実家 市村座もこの町にあった
お徳の実家は 浅草寺近くの大工の家
雑司が谷 鬼子母神 菊之助とお徳の逢引の場所
■ 大阪