明治以前の日本には
大勢の観衆が少数の人に拍手で反応するといった習慣はなく、
雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎などの観客は
拍手は しなかったそうです。
明治時代になり
西洋人が音楽会や観劇のあと「マナー」として
拍手しているのに倣い、拍手の習慣が広まったものだそうです
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1906年(明治39年)に発表された
夏目漱石の小説『坊っちゃん』には
「(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は
拍手をもってむかえた」との記述があります。
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岡本綺堂が 少年時代に家族とともに
新富座を見物に出かけたときの
様子がかかれた文章があります
「 実際、それは初代左団次が
最も膏の乗ってゐる当時であるから、
舞台が踏み抜けるほどの目ざましい
大活動を演じたに相違ない。
その証拠には子供のわたしばかりでなく、
満場の観客もみな息を嚥んで舞台を
見詰めてゐるらしかつた。
俳優の名を呼ぶ声も頻りにきこえた。
併し手をたたく者は一人もなかつた。
その頃には、劇場で拍手の習慣は
なかつたのである。」
—岡本綺堂『明治の演劇』 1942年)
同じ 岡本綺堂の文章
「私も見物と一所になつて『引きつ引かれつ澤水に』の
あたりを拍手喝采しました。」
—岡本綺堂「市村座覗き —<劇評>—」
『演芸画報』大正5年)
時代も下がって、大正5年あたりにあると
拍手喝采が登場しています
やはり 西洋文化の流入による文化らしいですね
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これを ふまえて
お芝居 「藤十郎の恋」の中での
劇中劇の場面
元禄時代の 都万太夫座ですから
客席から 拍手が起きると
おかしいということになります