敵討(かたきうち)、または仇討ち(あだうち)は、
直接の尊属を殺害した者に対して
私刑として復讐を行う中世日本の制度。
武士が台頭した中世期からの慣行であり、
江戸期には警察権の範囲として制度化された。
基本的に、子が親の仇を討つなど、
血縁関係がある目上の親族のために行う復讐を指した。
<wikipedia>
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父母や兄など、自分よりも前の世代の親族を殺されたとき、
相手に復讐する慣習は、
敵討ち(かたきうち)や仇討ち(あだうち)と呼ばれます。
古くから行われてきましたが、
「喧嘩両成敗」を原則として紛争を処理した江戸時代には、
当事者の不合理感を補う制度として、
法の上でも認められていました。
秩序を守るために幕府が定めたル-ルや作法があり、
武士同士の果たし合いで、
負けた側の身内が仇討ちする「重敵(かさねがたき)」
正当化されませんでした。
返り討ち(仇討ちしようとして逆に殺される)にあった場合、
遺族が仇討ちする「又候(またそうろう)敵討ち」も禁止
これらは負の連鎖を防ぐためでした。
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【仇討ちの手順】
(1)奉行所に届けを出して
認められたら「敵討許可証」を受け取る。
(2)敵を見つけたら現地の奉行所に届け、
「仇討ちを行う許可」をもらう。
(3) 奉行所が先に敵を捕らえた場合は、
竹で囲んだ場所の中で仇討ちを行う。
(4)仇討ちを終えたら奉行所で「帳消し」の手続きを行う。
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初夢に見ると縁起が良い夢とされているのが
「一富士、二鷹、三なすび」
(いちふじ、にたか、さんなすび)
それは
江戸時代の「三大仇討ち」としていわれているものを
言ったものである
「曾我兄弟の仇討ち」
(曾我兄弟は富士の裾野で巻狩りが行なわれた際にこれに乗じて仇討ちを行なった)
「赤穂浪士の討ち入り」
(播州赤穂藩浅野家の家紋が「丸に違い鷹の羽」だったことから)、
「伊賀越えの仇討ち」
(伊賀国はなすびの産地として知られていたことから)
という 説もあるよあです