親族会議の場
白銀町の本家 仁兵衛 を 京乃夢華
親族 村田 およし を 京乃さや
越前屋 母親 おみち を 京乃健次郎
が 熱演した模様です。
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劇団都の この場面
本家仁兵衛さんの セリフからはじまるのが 特徴です。
仁兵衛
「今、佐太郎さんから報告があったとおりなので、
定次郎の勘当を解き、ご親類の皆さんの協力もあおぎ、
この三丁目の越前屋のあるじとしたいと思うのだが、
いかがじゃろう」
村田
「佐太郎さんの道楽がやんでマジメにやっていることは
非常に喜ばしいことで、
そもそも 越前屋の亡くなられた先代も
それを望んでおられることでしょう
白銀町本家の仁兵衛さんが勘当を解くというのに、
私が賛同しないわけはないでしょう」
仁兵衛
「おみちさんの意向も聞かねばならぬが、
どうじゃ?」
おみち
「はい、私はもとよりご親戚の皆々様の
ご同意をいただければ、それはそれはうれしゅうございます」
仁兵衛
「それではこれで決まったな。
親類一同全会一致のもと
定次郎の勘当を解き 越前屋のあとを継がす。」
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仁兵衛 主導で 話がまとまります。
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劇団都の この場面の最大の特徴
定次郎への縁談噺
村田の女将さんが口火を切ります。
村田
「定次郎さんが 越前屋のあるじと決まったからには、
いつまでも一人と言うわけにはいきまんよね」
仁兵衛
「それもそうじゃなぁ
うちの店でもお世話になっている
織物問屋丁字屋さんから「娘の世話をしてくれ」と
頼まれるているんだが、定次郎の嫁にどうじゃろうな?
おみち
「はい、それはそれはありがたいお話で、
ご親戚一同様のおかげにございます」
佐太郎
「ちょっと おまちください
さきほど申しましたとおり、
定次郎には おはんさんがいます。
二年の間 定次郎をしっかり支えてくださった方、
その方をどうするのですか」
仁兵衛
「佐太郎さん、その女と言うのは
芸者だというじゃないか
まさかお前は その女を定次郎の嫁に迎えると
言うのか ばかばかしい」
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江戸は 日本橋 堀留(ほりどめ)にあった
織物問屋の丁子屋について
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小林吟右衛門という人が 近江で 行商をしていた人が
江戸へ進出して
日本橋 堀留(ほりどめ)に 丁子屋という織物問屋を開きます
地名にもあるように 堀の留(最後)の場所で
船による 江戸の運搬基地のような場所でございます
小林吟右衛門という人 なにがすごいのかというと
各地の農村の万屋(よろずや)に別送した商品を委託する
という 問屋機能を確立するとともに
織物だけではなく 菅笠や 紅花 綿織物などの 太物もあつかい
流通機能を充実させ 格段に発展させた立役者
それで 利益を 得ると 江戸・京都・大坂の三都に店を持ち、
手広く商いを行う押しも押されもせぬ豪商としての地位を築きあげた。
さらには 彦根藩為替方御用達もつとめ、
苗字帯刀を許され 井伊直弼 とも親交があった。
そんな絶頂の時に、ある「事件」が起きた。
文久元年(1861年)11月 京都の両替商・
伊勢屋藤兵衛が100万両の損失を出し、閉店した。
倒産である。
伊勢屋は江戸にも支店があり、近江商人の間には信用があり、
取り引きをする者が多い店だった。
伊勢屋閉店のニュースが伝わると、ちまたはバニックになった。
伊勢屋に5000両を振り込んでいたある商人は、
大慌てで回収の方法をとった。
だが、この倒産による最大の被害者は丁吟であった。
吟右衛門、63才の時である。
半生をかけて築いた財産が失われた。
14万両 今の貨幣価値に換算すると、
300億円相当の金額である。
丁吟がいま14万両の損失を出したと言えば、
丁吟が危ないと思って為替の返戻を請求してくるであろう。
したがって、その支払い準備こそが急務である」と、
丁吟の信用不安と取り付け騒ぎに対処するために、
陣頭指揮に当たった。
案の定、続々と返戻の請求が来た。
丁吟では、それに応じてすぐに支払いをした。
丁吟の対応を見て、富の膨大なことを知った
預金者たちはいったん返戻した金を再び預けに来た。
この機敏で適切な処置により、
丁吟と吟右衛門の信用は一段と上がり
豪商としての名をさらに高めた。
その損失後 再び 14万両の財産を築いたといいます
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本家が 突然
「うちの店でも 世話になっている 織物問屋 丁子屋の娘」
を 定次郎の嫁にどうか・・と 言い出しました
それに対して 母親 おみちは びっくりしてますし
佐太郎は 「定次郎には おはんさんという決まった方が」
と 言うわけです
織物問屋 丁子屋というのが
押しも押されもせぬ豪商 であるということを 知っていると
この場面での、おみちの驚き 親族の表情など
見方も変わってきます