猿若町は、
老中水野忠邦が行った天保の改革により
江戸浅草浅草寺北方に 新たに造られた芝居町。
1841年(天保12年)
人形町の中村座の失火をきっかけとして
市村座、浄瑠璃の薩摩座、操り人形の結城座が焼失したことから、
河原崎座を含めた江戸市中の芝居小屋を
現在の浅草聖天町(丹波園部藩主、小出邸の跡地面積約一万坪)
に集め
天保13年 芝居小屋の草分けである猿若勘三郎の名に因んで
猿若町(さるわかまち)と改名し 芝居町とした。
安政から明治初年ごろまでの錦絵や書籍には、
「猿若町」に「さるわかまち」と仮名を振ったものと
「さるわかちょう」したものが混在するようです。
歌川広重画 『猿わか町よるの景』
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お芝居「大忠臣蔵」
ご存じ 松の廊下の場面
内匠頭 麻の上下の長裃で やってきてしまったが
本日の日は素襖大紋 縦烏帽子 烏帽子の紐は猩々緋
と言われ あわてて着替えてきた
吉良
「よう間に合われたのう
のう 浅野、その変わり身の早い事
猿若町の役者も裸足で逃げるわ」
という場面が あります。
実は おかしいんです;
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もうお気づきですよね。
松の廊下 刃傷事件は
元禄14年3月14日(1701年4月21日)
猿若町 という芝居町ができたのは
天保13年 (1842年)
で ございます。
つまり 吉良さん 100年後に できた町の名前を
言ってます。
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こういうセリフって むずかしいですよね
当初は 演じていた当時の流行を取り入れたアドリブ
だったかもしれないのです
猿若町という 大人気の町の名前を アドリブとして
入れて 客席を沸かせた。
その アドリブが そのまま 伝承されてしまった
ケースでは ないかと思われます
現代に置き換えると
「よう間に合われたのう
のう 浅野、その変わり身の早い事
ワンピース歌舞伎の連中も裸足で逃げるわ」
という感じかもです