Quantcast
Channel: 桃象の観劇書付
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2923

【用語解説】坂田藤十郎

$
0
0

初代 坂田藤十郎は

 

正保4年(1647年)  京都の都万太夫座(現在の 南座) の座元、 

坂田市左衛門の長男として 生まれた。


幼い頃から舞台に立ち、無類の稽古熱心との話が伝わるも、

30歳ごろまでの修業時代については不明な点が多い。

 

延宝6年(1678年)に 名姑夕霧が亡くなって僅か1ヶ月後に上演された

『夕霧名残の正月』で藤屋伊左衛門を演じて好評を博し、

役者としての地歩を固めた。

 

元禄6年 近松門左衛門と組んだ『仏母摩耶山開帳』で、

名優としての地位を固め、以後近松の歌舞伎作品を数多く演するようになる。


特に、元禄12年(1699年)の『けいせい仏の原』の梅永文蔵役は

興行的にも大当たりをとった。その芸風はせりふ回しがうまく、

独白を得意とした独特の写実的演出で、上方歌舞伎の基礎を作った。


それまでは踊りが中心だった歌舞伎を、

近松門左衛門と提携してせりふ劇に発展させ、

「和事」の創始者ともいわれている。

 

 

江戸の役者ではないせいだろうね

華やかな 役者絵に 描かれていないのが残念なところ

 

 

菊池寛の「藤十郎の恋」に 登場する 藤十郎さんは 

この 初代 坂田藤十郎で

 

冒頭 「元禄云う年号が、何時いつの間にか十余りを重ねた

ある年の二月の末である。」

 

と 書かれていて  元禄11年 

坂田藤十郎 51才のころの 出来事として 描かれている

 

 

藤十郎の恋

 

 

四条 芝居茶屋 宗清の主人 宗山清兵衛の 女房の お梶は

評判の高い貞淑な美人であったが、

かつて共に連れ舞を踊った幼馴染の藤十郎に人知れぬ

思慕の情を抱き続けていた。

 

藤十郎は 近松門左衛門を招いて、新しい芝居の脚本を依頼した。

かくて近松の書いた「大経師昔暦」は、大経師女房おさんと

手代茂兵衛が密通の挙句処刑された物語である。

 

藤十郎は、人妻に恋を囁く難解な演技を、如何に我がものとするかに

心を砕いていた。

 

藤十郎は 部屋に入って来たお梶を見て、

突然熱烈な恋慕の情を打明けた。

 

 

ご存じ 「お梶」さんへの 恋の物語でございます


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2923

Trending Articles