文久は 江戸末期、孝明天皇の時の年号。
1861年2月19日~1864年2月20日。
■
幕末期は こんな感じです
1854 (安政元) 年 寅 11月27日~
1855 (安政2) 年 卯
1856 (安政3) 年 辰
1857 (安政4) 年 巳
1858 (安政5) 年 午
1859 (安政6) 年 未
1860 (安政7) 年 申 ~3月17日
1860 (万延元) 年 申 3月18日~
1861 (万延2) 年 酉 ~ 2月18日
1861 (文久元) 年 酉 2月19日~
1862 (文久2) 年 戌
1863 (文久3) 年 亥
1864 (文久4) 年 子 ~2月19日
1864 (元治元) 年 子 2月20日~
1865 (元治2) 年 丑 ~4月6日
1865 (慶応元)年 丑 4月7日~
1866 (慶応2) 年 寅
1867 (慶応3) 年 卯
1868 (慶応4) 年 辰 ~9月7日
1868 (明治元) 年 辰 9月8日~
1869 (明治2) 年 巳
1870 (明治3) 年 午
1871 (明治4) 年 未
■
さてさて お芝居「戻り橋」を 観てますと
登場するのが 文久3年。
玄海竜二演じる 甘酒屋のとっちぁんも
行き別れた子供の生まれ年を
「文久三年春三月
辰年生まれの・・」
と 名調子で言うわけですが
実は 間違いなんですね。
文久三年は 辰年(たつどし)では ございません
亥(いのしし) なんですよね
■
なぜ こんな風に伝わってるのか 謎です
お芝居だから 架空の・・・
という話もあるんですが
あえて 辰年にしなくても・・・
何故 辰年に設定してあるのかも 謎です。
辰年に拘るなら
1856年 安政3年
1844年 弘化元年
が 辰年です
■
元々
安政3年 辰年生まれで
文久3年の冬 数え年10歳(満年齢9歳)の時に 生き別れ。
そうすると
明治4年 21歳(満年齢20歳)で 再会となる。
という 話じゃなかったのかなぁ
「世直し小僧」という 小僧という名前も
その年齢なら うなづけるしねぇ・・
などと 思う
文久3年で ございます