懲役刑・禁錮刑の言渡しを受けて、
実際にその執行を受けて出所した者を「前科者」、
すなわち過去に犯罪を犯した者。
一般的には 服役場所から 刑期を追えて
一般社会へ戻ってきた者を 「むしょ帰り」と言う
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「むしょ」とは 刑務所(けいむしょ) の略ではない。
大正4年に京都府警察部というところが発行した
「隠語集覧」に
むしょ=監獄のこと、「むし よせば」の略
と書かれているそうです。
「刑務所」と言う言葉がわれ始めたのは
大正11年からなので、
「ムショ」=刑務所ではございません
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江渡時代 1790年(寛政2)に
無宿人や引取人のいない刑余者を留置し、更生を図る施設 として 江戸佃島に「寄場(よせば)」が作られた。
寄場内には手業場があり、収容者に大工、建具、塗物、紙漉(す)きや米搗(つ)き、油絞り、牡蠣殻灰(かきがらはい)製造、炭団(たどん)作り、藁(わら)細工などに従事させた。
これらの作業に対しては賃金が支払われたが、
その3分の1は強制的に積み立てさせ、 出所時に
生業復興資金として渡したそうです。
そこでの食事が 麦6に:対して米4の 食事であったために
寄せ場のことを 「六四処 (むしょ)」と言ったんだそうです
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明治以降も しばらく 監獄では その 6対4の 麦飯が
引き継がれて 「くさい飯」とも 呼ばれていたそうな。