鏡の歴史は古く、古代中国の時代、
日本においては 邪馬台国の卑弥呼の時代に
中国の王さんからもらってますし、
高松塚の古墳からも 出土しています。
しかしながら、それは 銅で作られた 金属の鏡で
日本においては 奈良時代から 青銅で 鏡を作るようになり
独特の文化が確立され 和鏡(わきょう)と 呼ばれるようになります
当初は 神社に 納めるためのものだったそうです
時代は うつり 江戸時代には 庶民も 青銅の鏡を使い
長年使った鏡が曇ってくると 「鏡研ぎ」という商売があって、
鏡を磨く職人さんが
鏡を きれいにしてくれたんやそうでございます。
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これは 徳川美術館所蔵の
霊仙院千代姫(尾張家2代光友夫人)の
鏡台だそうで 国宝でございます
これは あくまで お姫様のものあって
一般庶民は こんな 豪華なものは 使っておりません
これは 展示してあるものなので 裏面の装飾をみせていますが
鏡として使用する場合には ひっくりかえして
鏡の面を つかうのですよ
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鏡台を使う お芝居と言いますと、、
歌舞伎では 何と言っても
「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)
いわゆる お富・与三郎 でございますな
この 源氏店の場面は 小道具が多いので有名ですが
しっかり 鏡台も含まれています
坂東玉三郎 若かりしときの写真でございますが
鏡は ↓ の 柄のついたタイプを使用しています
鏡を 調べると
フランシスコ・ザビエルという
名前が登場します
宣教師さんですが この人が ガラスの鏡を持ち込んで
江戸時代には ガラスの鏡が日本でも作られていた
という 記載がありまして・・・
それは どんなもんやろ・・と 調べまくりましたら
写真がありました
名刺サイズほどの ガラス板に
塗料を塗った そんな感じのしろもので
ガラスも 現代のような 綺麗なものではありませんし
メッキ技術も 粗悪なものだったようです
したがって、そういうものは あったけれども
江戸時代は たいていは
金属製の鏡を もちいてたということになります。
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それを 踏まえて
劇団都の場合、お芝居「伴天連物語」の髪結いさん、
お芝居「板前兄弟」の 女将さん
この 両者が使う 鏡は
本来は 金属製の鏡が 正解でございます