葉茶を 茶臼でひいて抹茶にすること
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江戸幕府開設間もない1617年、
日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に
遊廓が許可され、幕府公認の吉原遊廓が誕生しました。
当初 京の島原を模倣したようで 茶会などもよく開いてたようで
客を抹茶で持て成すこともしていたようです。
抹茶というのは 現在のように
あらかじめ挽いたものを保管することはせず、
挽きたてのものを味わってもらうという習慣から
その日挽いたもので
もてなすのが 当時のならわしです。
当初は 日によって 茶を挽く係を 交代で決めて
その人が 臼で茶を挽いて 抹茶を作っていた。
と いいます。が のちのち 茶を挽くのは
手の空いた者の役割になったそうです。
客がつかず あぶれた 女郎さんは お茶挽き当番を
命じられるようになったとか・・
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それが 転じて 抹茶挽きの習慣がなくなっても
客が来ない あぶれた ことを
「お茶を挽く」 「お茶っぴき」
などという用になったそうです。
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「お茶っぴき」という言葉も 「品川心中」に 登場します
島津亜矢 の 「お染」
もちろん 品川心中のお染さんのことを
歌っていますが、その中でも 「お茶っぴき」 登場します